神戸の開港にあたって、それほど表舞台には出てこなくとも大切な人がいます。
網屋吉兵衛もそのひとりです。19世紀半ば頃には、兵庫津(ひようごのつ)の辺りには、船底に付いた貝殻や船虫などを焼いて船を整備する「船たで場」(現在の乾ドッグのような所)がなくて、四国の多度津まで船を曳いていかなければなりませんでした。
それを聞き及び、1854年に、二つ茶屋村の呉服商、網屋吉兵衛が船たで場を造ることを代官に願い出て許可を得ました。
船たで場は、工事を始めてから3年余りの月日と、巨額の資金が費やされてようやく完成しました。しかし、家族からの反対にあったり、また資金の工面のために苦しむことにもなりました。1864年、徳川家茂に謁見をした際には、神戸港の開港を
進言していますので、築港の先駆者と言えるかもしれません。
「網屋吉兵衛顕彰碑」は、1979(54)年に第一突堤に設置されましたが、ウォーターフロントの開発工事の為、当時の船たで場に近い所に移設されました。
莫大な私財をなげうち、神戸港開港に陰ながら尽力した人のことを、忘れてはならないと思います。
2020-12